アメリカの田舎で暮らしています

年下夫と猫のここちゃんとの暮らし。ジョージア州でRN(看護師)してます。

仕事中の話し 患者さんと一緒に泣いた日

こんにちは、ちぃです。

 

その男性患者さん、まだまだ若くて50代になりたての年齢でした。

どうしたの?って思わず聞きたくなってしまうほど、顔や腕が真っ黄色。

少し前からお腹が痛くてね、と思ったらある日突然体が真っ黄色になっちゃったから慌てて病院に来た、とのこと。

 

これまで何の病歴もなく、飲んでる薬も何にもなく。

何が起こっちゃってるんだろう?って本人が戸惑っているのが伝わってきました。

 

これを機に、もっと健康に気を使おうと思う。

治ったら、食事も見直して、糖分は体に良くないって読んだから、砂糖はカットした生活を送ろうと思ってるんだ。野菜中心の生活に変えようって考えてるんだ、なんて話してくれました。

 

お腹に管を入れて、体を真っ黄色にしている原因を取り除く事で体の色が戻ってくると思われていたのですが(患者さんは白人さんです)、体は真っ黄色なまま。患者さんは、なかなか皮膚の色が戻らないね、だけど、管に繋がっている袋には結構たくさん体からの液が溜まっているし、早く良くなるといいな~、なんて言っていました。

 

体から出てくる液体の量に反して、全然良くならない皮膚の色。

主治医ががん専門の医者に相談して、がんの可能性を探る事に。

 

患者さんから、がんかもしれないんだって、と聞きました。それでも、彼は全然前向きで、治ったらあれをしよう、これをしよう、と計画を立てていました。ほんきで食生活を見直さないとね、とか。

 

その日の夕方、がんの専門医が患者さんと話した記録がパソコン上にあったので読むと、まだ何の検査もしてないから確定は出来ないけれど、患者さんの症状から言うとがんである事はほぼ確定。しかも、進行が速い悪性のもの。抗がん剤も効き目は期待できず、余命は3ヵ月から12ヵ月だろう、と。

 

え?とほんとにびっくりして、慌てて患者さんの部屋に行きました。がんの専門医が書いた記録を読んだんだけど、余命宣告されたってほんと・・・?と聞いてみると、うん、がんで間違いないって言われた、と。

 

今まで特に何の病気もしてなくて、今入院してるけど病気を治して、家に帰ったら生活を改めて健康に暮らそう、と思って入院してたのに、余命3ヵ月から12ヵ月って言われるって一体どんな気持ちなんだろう?とわたしの中で全く気持ちの整理がつかなくて、患者さんと、それからずっと付き添っていた患者さんのお父さんと3人で一緒に泣きました。

患者さんのお父さんも今前立腺がんの治療中で、体は本調子ではないみたいで、それなのに、息子の方がきっと先にあの世へ逝ってしまう事、患者さんにはお姉さんがいたのですが、お姉さんは既に他界してしまっている事、患者さんのお母さんは息子ももうすぐ天国に逝ってしまうだろう事実を突きつけられて、現実と向き合えずに寝込んでしまった事等、3人で涙しながら話しました。

 

医者も看護師も、全ての病気を治す事なんてできないし、そんな事は分かっていたけれど、改めて無力さを感じた日でした。

 

 

 

もう特に病院で出来る事はない、という事で数日後には退院していきました。抗がん剤治療等の治療のプランは全て外来で専門医と相談しながら進めていくので、病棟にいるわたしには何の情報も入って来ません。

退院前、患者さんのお父さんから、もうすぐ退院するけど、落ち着いたらたまには自宅に顔を見に来てあげて、と言われました。もちろん、と思ってメールのアドレスをもらったので、早速連絡したけれど、返事はないまま。(こちらのメールアドレスは渡してありません)

返事がない理由は分からないけれど、今まで毎日メールの確認なんてしていなかったけれど、この日以来毎日メールの確認をするようになってしまったし、実は既に入院から3ヵ月経っているので、もしかしたら・・・と考えてしまう事も。

 

入院前は自宅で鍋を作る職人さんをしていた患者さん。

退院する数日前に、部屋に呼ばれたので行ってみたら、主治医とわたしに患者さんの作った鍋をプレゼントしてくれました。良くしてくれてありがとう、って。

物をくれる人はいい患者さん、なんて言いたいわけではないけれど、こんな風に食べ物以外の何かを頂いたのは初めてでした。(ドーナツ等の差し入れをもらう事は多々あります。)

 

患者さんの思いが詰まった鍋。折角だから日常的に使うべきなんでしょうが、わたしの中でまだ上手く気持ちの整理がついてなくて、未だ未使用のままです・・・